親になるということ

1月9日に息子が生まれました。予定日より1週間ほど遅れ、奇しくもフルムーンの日でした。後から聞いた話ですがその日は5人も生まれたんだとか。不思議なものです。


立ち会いましたが、助産婦さんの手際の良さに関心するばかり。また、女性の強さというか神秘さというかただただ圧倒されるばかりでした。生まれた息子は羊水を多量に飲んでいてうぐうぐ言うばかりで、よくテレビなどで見る「おぎゃー」と泣くには少し時間がかかりました。生まれてすぐに「大きいねー」と助産婦さんたちに言われましたが、とにかく小さくて、相対的な大きさなんてさっぱり分かりません。小さいけれどもものすごいエネルギーがぎゅっと詰まった感じがします。ただただ生命の神秘に魅せられるばかり。


はてさて、人の親になるわけですが、従来、恩着せがましい態度や干渉しすぎる親子関係は嫌っていた自分ですけども、いざ人の親となると自分がどういう心境になるのか興味深かったのですが、とても説明しにくいのですが「私めが育てさせていただきます」といったような心境になりました。まぁなんというか不安の方がやや大きいのですね。自分自身の性格が子供の頃から変わっていないことを自覚しているわけで、あれよあれよと就職し結婚し子供をもうけて、なんだかんだで大人の階段を上っている自分をふと客観的に見ると、「いやいや昔から変わってないっしょ」と思うわけです。そんな私が小さな小さな生命体のお世話させていただくわけです。


「家族はチームみたいなものだ」と10代の頃から思っていたのですが、その考えは今でも変わっていません。さながら、実家のチームから退団し、今は夫婦2人のチームに新たなメンバーが新規加入したようなものです。彼はいつしか離脱し新たなチームを組むのでしょうけど、まぁ今は新体制をちゃんと整えていきたいなと思います。

迎春 2012

2011年を振り返って


あまり総括することもないのですが、結局のところ3月11日につきると思います。
1-2月に新婚旅行に行ってたことが遠い昔のようです。


3月11日の事は前に書いたので特に言及しませんが、年末が近づくにつれて震災の話題が多くなってきており、感覚的にはだいぶ遠い過去のようでした。ただ、ここ最近、被災地出身の人と話すことがあり、彼らの話は帰宅困難だったとかビルがたいそう揺れたとかそういう悠長なものではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際のエピソードを聞くこともあり、軽くショックを受けました。被災地はまだまだ震災が現在進行形であり、時々でも肝に銘じなければなと思いました。また、原発事故についていえばおそらく自分が死ぬまで収拾するのを見届ける事になるだろうと思います。


さて、今年を表す漢字として「絆」が選ばれましたが、自分の事に関してだけ言うとやや違和感はあります。どこかでつぶやきましたが縁というのは結ぶだけではなくてもほどくことも必要だと思うのです。たとえば地縁。住めば都といいますが、その逆も然りで、どうにも最近は自分の出身地にはもう一生住むことはないだろうと確信めいたものがあります。(将来はどうなるか分かりませんが)少なくとも今現在はそのように思います。特に震災後、ある種意図的ではありますが自然と気持ちが離れました。また歳を重ねれば恋しいモノなのかもしれませんが。


ところで、来年は新しい家族を迎える予定です。不安と楽しみが半分づつ入り混じっています。ちょっと不安の方が若干大きいかもしれません。覚悟はしていたつもりなのですけどもね。この人の親になる前の感覚はすぐに忘れ去ってしまいそうなので、折を見て書き留めておこうかと思います。


来年は家族3人ともどもよろしくお願いいたしいます。
それでは良いお年を。